2011年3月11日、突如、東日本大震災が東北を襲った。
私は震源地から遠く離れた名古屋に住んでいて、今も住んでいる。
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ちょうど仕事を終えて、遅い昼食を食べようと台所で準備していた時だ。
いきなり戸棚の食器がガタガタ音を立てた。
その時はまだ何も自覚がなくて、アレっと思った。
するとめまいがしたように足元がゆっくりと揺れた。
...まだ止まらない...と思うくらいに感じた長い?時間
ぶら下がった蛍光灯も揺れる。
地震だ!!大きいぞ!!
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すぐテレビをつけると、東北で大きな地震が起きたという。
3~4mの津波を予想していた。
中継のある港の魚市場、まだのんびりと接岸バースを歩く人もいた。
やがて襲ってきた真っ黒の津波は予想された高さを遥かに超える大きな津波だった。
あっという間に魚市場の屋根に達し、自動車など、あらゆるものを押し流しながしていく....
私は画面に釘付けになった。
地獄のような現実が信じられないような、信じたくないような...画面を茫然と眺めるばかりだった。
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そして追い討ちをかけるように原発のメルトダウン....悪夢中の悪夢が...夢であってくれ...
暗黒の闇が覆いかぶさってくるような不安と恐怖が襲ってきた。
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専門家という人たちがテレビでいろんなことを喋っている。
後々、その人たちの語っていたことがことごとく覆されていくのを目のあたりに見ながら、私たちが生きている基盤の脆さを、無力感に苛まれながら実感しなければならなかった。
あらゆるものの価値観、生き方を根底から揺さぶられた...
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多くの方の命が奪われ、故郷が奪われた。
それでも残された人たちは生きていかなければならない。
どんなに絶望しても生きていかなければならない...
「寄り添う」などというくらいのことしか言えない私の薄っぺらい言葉など、愛する生命を奪われた人たち、故郷が奪われた人たちの大きな苦しみや悲しみに届くはずもないだろう...
私たちが集めたわずかな募金を新聞社に託したが、後日その募金は赤十字社で滞っているということを知った。
怒りすら湧いてきた...
その後ある機会に募ったお金は赤十字社には託さず、被災地の支援をする団体に託したのだった。
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前置きが長くなったが、この年に63歳になる私は20数年ぶりに山登りを再開した。
老いさらばえていく我が身を受け入れながら、あらゆるものの価値観が揺さぶられた果てに、昔やっていた山登りを再開した次第だ。
歩こう!ゆっくりでも...確かな実感を身体が欲しがっていた。
気恥ずかしくも生きながらえている...あがきに近いものだった...
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近郊の誰もいなさそうなウィークデイを選んで、ひとりで山を少しずつ登りながら、心の均衡を取り戻そうとしていた。
昔のようには登れなかったが、静かな山歩きの良さを今更ながらに感じた。
するとまた、アルプスの高い山への憧れが心の中に芽生えてきたのだ。
夏の休みに八方尾根から鹿島槍まで越えてみようと思い立った。
もちろん昔の体力はないので小屋泊まりだ。
事前に予約も済ませた。
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8月11日、白馬の八方尾根のゴンドラ・アダム下の駐車場に車を止め、出発した。
鹿島を越え無事扇沢に下山したら、公共交通機関を使ってここに戻ればいい。
行くからにはカメラがいる。
近所のキタムラカメラで、見切り品7,000円の小さなデジカメを買った。
パソコンに格納されたデータには撮影した日時の記録も残っているのでおおよその所要時間はわかる。
これによって、当日の行動が蘇ってくるものもあった。
ちなみに、ゴンドラのアダムには7時ごろの始発に乗ったのだろう。
この八方池は8時18分ごろだ。
上に行くにつれガスが濃くなり、そのうち霧雨に変わった。
途中どこかで、ザックに付けていた買ったばかりのストックを失って意気消沈...
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頂上10時25分。
2006年3月、ここで遭難したK君に合掌...
リフト終点の八方尾根山荘から3時間前後だから、現在の体たらくから見れば、9年前はまだ馬力があったようだ(笑)
しかしながら、私の身なりは昔から変わらない野良仕事スタイルだなあ...
この時はまだ登山靴を持っていなくてスニーカーである。
気持ちだけは昔日の現役のつもりだった...
ここから南下して今日の宿の五竜小屋に向かう。
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頂上から唐松小屋に戻りすぐ牛首の登り。
先行者は確か鈴鹿の方で、定年後に軽自動車で寝泊りしながら全国を回り百名山を踏破したという...
恐れ入りました。
見ての通り、しっかりした足取りでガンガン登って行く。
この頃はもう雨も上がっている。
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雲湧く稜線の眺めも懐かしい既視感。
この天気で、人は少ないのだろうか...五竜への稜線ではそんなに人と出会わなかった。
晴れていれば気持ちは良いのだろうが、私としては太陽に照りつけられることもないので、ありがたいコンデションだ。
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稜線沿いにいくつかのコブを越えて行く。
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こんな稜線を今歩いている自分が嬉しかった。
五竜の小屋には午後早く到着したと思う。
写真がないので時間がわからない。
小屋の様子も全く記憶がない...
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翌2011.8.12の朝だ。
目覚めて、すぐ外に出た。
まだ日の出前で、東の空が朱に染りかけている。
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知らない人が手を上げてモデルになってくれたのにピンボケとは...
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こんな雲海を見るのも久しぶりだった。
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4時50分ごろ
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五竜岳頂上付近を仰いだ。
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小屋をあとにしたのは5時半ごろ。
五竜の小屋、唐松岳を振り返った。
唐松より八方尾根の頭が高く見える。
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5時35分ごろ
頂上への道
五竜小屋が2500m前後
頂上は2814mだから標高差300mの登り。
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ここまで上がると八方尾根の頭よりも唐松岳が高くなってくる。
向こうは白馬連峰、不帰岳二峰が見えているのかな...
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頂上がだいぶ近くなった。
快晴である!
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頂上直下
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向こうは立山、剣岳の連なりが迎えてくれた。
ああ...向こうにも行きたくなる...かつて何度も通ったところだ...
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鹿島槍ヶ岳、あの頂きには今日初めて立つ。
そして山の向こうの冷池小屋に泊まる予定。
稜線歩きに期待が膨らむ。
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6時25分
野良仕事のついでのような格好のおじいさんも恥を忍んで、アリバイ写真だ。
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昨日と打って変わった上天気!
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北アルプスの峨々たる稜線歩きの醍醐味だ。
3000mも超えるような大きい山がドカンドカンと鎮座する南アルプス。
その高低差に萎える山旅人を嘲笑うような南アルプスとは雰囲気が違う。
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剣岳、7,000円のカシオで引っ張った写真をパソコンで加工してここまで...
八ツ峰下半分を八峰のマイナースラブから登ったなあ...
剣岳八ツ峰ののルンゼといい壁といい、くまなく踏査した魚津岳友会の記事を参考にして...
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キレット小屋を早立ちしてきた人だろうか...
来た道を振り返ってみる。
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関西弁の夫婦が休んでいた。
奥さんの方がタフな感じだった。
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いよいよ鹿島槍の北壁が近づいてきた。私が登山から身を引いたあとに仲間たちが登っている。
ちょっと悔しいね。
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朝日で信州側が温められ、ガスが湧き上がった。
魅力的な五竜からの稜線はまさしく夏山のそれだ。
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鹿島槍の北壁は、雪渓のカクネ里のどんつきから立ち上がり標高差500mと言われている、スケールの大きな壁だ。
冬季、氷に覆われる急峻なルンゼや雪稜が頂上に突き上げるバットレスは、アルピニストの憧憬を集めている。
近年、カクネ里は剣岳の雪渓などとともに、現存する日本の氷河とされている。
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お、キレット小屋が見えてきた。
ここに一度は泊まりたいね...
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憧れの山は何度でも撮ってしまう。
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8時45分
キレット小屋、1932年建立... 
5時半頃に五竜小屋を出発して五竜頂上6時25分に出てる。
標準コースタイムをみる限りまあまあのペースだが...
現役時代はもっと早く歩いていたのかしら...
2020年の現在はコースタイムの1.1~1.2倍である。
その後に心臓にも問題があるということが発覚しているし...
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8時50分
鹿島槍から下ってきた若者とすれ違った。
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振り返ればキレット小屋越しに五竜岳。
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カクネ里の雪渓、いや氷河
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10時01分縦走路はキレットからここに合流する。
鹿島槍北峰は少し北にスイッチバック。
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鹿島槍ヶ岳の最高点、南峰とは吊尾根を隔てて繋がっている。吊尾根の下には雪がまだ残り、
盛んにガスを発生させている。
夏山の風情が最高だ。
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10時09分
鹿島槍北峰頂上2842m
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セミの死骸が...間違えてここまで上がってきてしまったのか...
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五竜岳遠望、その向こうは白馬だろうか
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剣岳2999m
左の三の窓雪渓、右の小窓雪渓はこの鹿島槍のカクネ里雪渓とともに氷河として確認されている。
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信州側から湧き上がるガスが夏山の風情を盛り上げる。
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もう一度五竜岳を振り返る。
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はるか彼方に槍ヶ岳!
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南峰直下
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10時55分
鹿島槍ヶ岳頂上
五竜小屋から約5時間半
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槍ヶ岳が遠い
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鹿島の北峰
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五竜岳
ここまで歩いてきた稜線に感無量
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11時
立山連峰
この頂上で休んでいたら、朝6時に扇沢を出発して柏原新道でこの時間に着いたという還暦越えのおじさん(還暦越えにはとても見えない若々しい方)がいてびっくりした。
そんなんで来れるのか....
それでも、思ったより時間がかかりました...とは!!??
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立山連峰
手前は黒部別山
別山谷左股右岸の大スラブ壁が確認できる。
ここを駆け上がる最近の記録も散見できるから凄い!
1979年岳師O氏に連れられて左股に足跡を残すことができた。
稜線手前でビバーク...次の日は雨の中、ハシゴ谷(だん)乗越経由で黒四ダムに戻ったが...長かった...
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立山連峰と黒部別山

岳師O氏といえば...
彼は全天候クライマー。
ある日、丸山南東壁を目指した。
ダムを出る時から雨が降っていて、正直止めたかったが、言い出せなかった。
O氏は壁まで行ってみようという。
渋々、壁の下について行った。
すると今度は行けるとこまで行こうという。
観念して、ずぶ濡れの破れかぶれで登って途中でビバーク。
次の日は快晴で...壁を抜け頂上に着いたらどっから下るの?って...
かつて知ったる私が先導して蔵之介平経由で下ったけど...
天気は、別山沢左股の時とは逆パターン....よき思い出である。
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剣岳
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花ゴコロも無いのについ撮ってしまうのは昔から
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11時37分
布引岳となっているが国土地理院の地図では布引山となっている。
鹿島槍ヶ岳から南に伸びる稜線の上のコブだ。
この標識の向こうの山は鹿島槍ヶ岳南峰から黒部川の仙人ダム付近に伸びる尾根上にある牛首岳となっている。
道はなさそうだが...
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これは布引山から爺ヶ岳方面を撮ったものかな。
地図を見ると爺ヶ岳は北峰、中峰、南峰とあるからそれっぽい。
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鹿島槍に向かう登山者
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ファンタスティック!
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冷池小屋の手前にあったキャンプ場
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視界が開けたら冷小屋が目前に
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12時30分
冷小屋到着
五竜岳からの所要時間は休憩もひっくるめて丁度7時間というところだ。
岩登りに明け暮れてた若い頃と比べれば、小屋泊まりなので荷物らしい荷物も無いし...
コースタイムと比べるのもヤボだ。
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小屋の窓から種池山荘が見える。
明日はあそこから黒四の入り口の扇沢に降ることになる。
その向こうには針ノ木岳かな...
...あそこまで行っておけばよかったなと、今思う...
後悔先に立たず...
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変わったなあ...
ほとんど浦島太郎翁
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午後のガスが舞い上がる
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14時10分
鹿島槍東尾根から大冷沢になぎ落ちる大岩壁と、
若者の背中を茫然と眺めながら...
ビール片手に長い午後を過ごす...
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8月13日2時33分
夜半、ドカンと地震が一発あった!
それで目が覚めて寝付かれず、窓越しのお月さんを撮影
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5時23分
朝食をすませ出発。
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稜線を辿って爺ヶ岳、種池、扇沢...
すぐ先の冷池乗越から赤岩尾根を下って高千穂平方面
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爺ヶ岳への登りの途中、鹿島槍ヶ岳を振り返ったが頂上は雲の隠れていた。
手前に冷池小屋が見えている。
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5時38分
冷乗越となっている赤岩尾根分岐点
背景は剣岳だが頂上は雲に隠れている。
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爺ヶ岳に向かう先行者
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種池山荘と...
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6時30分
爺ヶ岳最高峰の中峰 2669m
国土地理院の地図では2669.9mでほぼ2670mだ。
北峰2631mには気が付かず踏みそこねた。
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手袋までして何故か寒そうだ。
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6時55分
爺ヶ岳南峰のケルン
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頂上から扇沢の駐車場が見えた。
向こうは針ノ木岳かな
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7時00分
爺ヶ岳の南峰2660m
愛らしい親子が記念撮影してるのを盗撮
もう今は立派なレディなんだろうな...
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種池山荘を上から目線
このロケーションも素晴らしい
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これは!別山尾根とガンドウ尾根の支尾根の接点がV字状に切れ込んでいる。
あそこはまさしく幻といわれる剣の大滝のあるところ!
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来た道を振り返れば冷池山荘と鹿島槍ヶ岳。
だが雲は執拗にまとわりついている。
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フレームに行き交う人がいるのがいい!
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もう1度しつこく剣大滝方面
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なんとメルヘンチックな...
ハイジが飛び出してきそうだ!
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針ノ木雪渓と針ノ木岳、やはり頂上は明け渡さない
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7時29分
古びて塗装がが落ちたとこさえ貫禄の種池山荘
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7時30分
種池山荘、標高2450m前後に位置する。
立ち止まらず扇沢に向かうことにする。
扇沢に向かう柏原新道を辿る。
この山旅の最終章
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爺ヶ岳を振り返る
高山植物が咲き乱れる向こうの爺ヶ岳の美しい端正なシルエット
柏原新道は爺ヶ岳南尾根の支尾根の方に大きくトラバースしてその支尾根を下降して扇沢に至る。
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針ノ木岳が遂に姿を現した。
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稜線上の種池山荘
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岩小屋沢岳かな
本格的な下りになると膝が痛み出した。
昔の現役時代のつもりでトントンと下ろうとしたら膝がこらえられない。
受け入れ難いのだが、やはり年はごまかせない...
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扇沢と針ノ木岳
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柏原新道入口
種池山荘までは標高差1100m
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9時20分
冷池山荘からほぼ4時間
山旅も終わった!
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だが、まだ旅は終わっていない。
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扇沢からバスで大町駅についた。
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大糸線のローカル列車に乗ってでのんびりと白馬駅を目指す。
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12時48分
白馬駅からは、タクシーで家族と待ち合わせているという女子大生と相乗りし、ゴンドラ駅の下の駐車場に戻った。
20数年ぶりの泊まりがけの山行の対価は、ひどい足のむくみだった。
これが10日ぐらい続いて...自業自得...
そしてこの山行の間に旧知の友人がこの世を去っていた...
彼が死に瀕していることを知らなかった自分を恥じるしかない。

それでもあらためて高い山の縦走が果たせて、自分に少し希望が見えてきたようだったが、
今振り返れば東日本の大震災、津波の惨事、その上にあってはならない、起きないはずだった原発事故....
そこからの実質的な回復は、2020年現在、未だ果たされていない。
そしてオリンピックすら延期せざるを得ないコロナ禍...
政治や社会の流れを見るにつけ、屈託なく笑えることも少なくなった。
山に登ろうとすることも現実から目を背けたい逃避行のようなものと言えるかもしれない。
ドイツのメルケル首相が、コロナウイルス禍の中で、
芸術や文化は人が生きるために必要不可欠なものだと語った。
政治のリーダーのこんな言葉に少し慰められた。
登山も人によってはそれに値する自己表現だと思う。
しかし、この国の政治家からメルケルような言葉を期待できるだろうか...