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穂高ぶらある記(岳沢〜前穂〜北穂〜涸沢 1988.9.20~21 Sさん記)
(写真提供Sさん。写真と本文は関係ないものもあり)

9月20日、局地的な大雨で新幹線STOPの報があり「アブナイヨ」という家人のジャブを軽くウィービングでかわし、HIACEのKEYを回した。
単独の、ことに夜行のときは、あんなにも行きたい山でも気がすすまなくなるのが常なのに、今回は不思議にまったくそんなこともなく、わざと忘れものを取りに戻ることもなしのスタートだった。そして雨のR19をひっきりなしに走るトラックの轍から上るしぶきにフロントガラスはまばゆく、一瞬目がとろんとしてしまう。
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甲斐駒ヶ岳赤石沢(87.8)

藪原で左折、光源は自分の車だけ、いよいよ本当のひとり旅になる。
境峠では雨のせいかいつものような兎と競争もなく急な坂道をただヘッドライトの幅の中を左に右にハンドルをまわしていた。
峠の例の店はもう何年も開店準備中の札が出たまま朽ちかけている。
数えるのも面倒にるほどの多くのトンネルに突入し飛び出し、23:50分、坂巻温泉脇の旧道のトンネルの中に車を止めたら、車の天井に大粒の水滴が音を立てて落ちてきてまた例の寝つきべたをやってしまった。
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中ア滑川奥三の沢(1989.2)

夜明けの光が洩れるのを待ちかねて、誰もいない上高地入り。
パンクJシューズに黄色のDaxのザック、これがまた、なんとも軽く、ひとり上天気に変わる気配のなか、河童橋を渡り湿った岳沢への古木の多い樹林に入ると、今日もあの匂いがしてくる。
何の匂いかわからないが、ここは山の直中を感じさせる。
匂いというよりかおりと言ったほうが相応・・・山のにおいだ・・・岩場でも低山でもけっして嗅ぐことはない。
きっと老木が分解して子供たちに別れを言うときの吐息だろう、などと少し気障に考えながら大きく息を吸い込む。
そんな道を歩くときは音を立てないで、ただひたひたと歩きたい。
誰にも会いたくない。
何も想いたくない。
ただ、だまってひたひたとあるきたい。
同じ気持ちのなかまと行くときも、こんなところを歩くときはそれぞれひとりなのだ。
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穂高奥又白池付近(85.10)

やがて樹林帯を離れ左手に岳沢の白い押し出しを、その上に西穂から前穂への稜線が極細のペン先で引いたような明快な区切りを、今は青空に画いている。
ときどき白いガスがいく塊か沢のどこからか現れては、はっきりしはじめた空の青に調和しはじめておだやかでありながら急な変化を見せている。
それらに「今日はついているぞ」と思わず賛美歌の一節が口をついて出てきてしまう。
岳沢ヒュッテで水を補給していよいよ登りにかかる。
空気はどんどん乾いて明朗だ。安物のパンクシューズだがフリクション性がよく、破れから砂が入ることを除けば岩場も楽しく、荷はかるく、あ〜あルンルンだ。
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蝶ヶ岳(85.9)

快晴の前穂高頂上で予定のB罐を一本とアンパン一個。
二、三人の単独登山者が皆勝手な方向を向いている。
昨年、右岩稜からこの辺に出たんだっけ、と身を乗り出して下の方を覗いてみると、奥又白の谷、池、辿った細い踏跡までがいささかの翳りもなく目と脳に飛び込んでくる。
今日は実に単純明快なのだ。スゴクもない。
頂上からそのまま北を向いて岩をとびながら西穂とのジャンクションへ着く頃、風が少し出てきてシャツを羽織る。
奥穂高頂上の石積みに這い上がり記念撮影。
今日も全く急いでいないのに、あまり道草をくわなかったのでまっ昼間に穂高小屋へつく。
このまま北穂まで行って明日は槍まで延ばそうか、と一瞬迷う。
しかし、最初の計画はゆっくり味わうことではなかったか....。
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奥穂高岳頂上(88.9)

なるべくだれも来そうもない脇へツェルトを張り、夜を待つことにして小屋前の石積みの上にストーブやらなにやら並べて予定どおりB罐一本、ついでオールドを。
涸沢から上がってくる登山者を楽しみながら、あり余る時間をうっちゃっていると、ひとり、すらりとした女性が隣に来て坐り、B罐を口にあてて目をつむったまま少しばかり陽にやけた喉を天に突き上げた。
細めの喉が小さくうごく。
やがてフーッと息を吐きこちらを見てはにかんだように微笑んだ。
先刻、彼女が独り、いかにも歩き慣れた様子で上がってきたのを見ていたのだ。

「慣れてますね」
「今日は涸沢までの予定だったんですが早かったので、がんばってしまったんですわ」
関西なまりだ。
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穂高岳山荘(81年頃?)

上天気の下の単独者というのは、どうしてか誰に対しても優しくなるのものだ。
少し寂しく、少し寛容に。
京都から来たという。

「ご主人は登らないんですか」

左手の指輪を意識して聞いてみたら

「うちのひとはだめなんですわ」
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しばらく前に誰にだったか忘れたけれど
カラビナ二枚つけるでウチのかあちゃん引き取ってくれやと
山行に不満顔の家内を売りに出したことがあったが、夫婦二人そろって山を味わうことができるというのは、よほど恵まれたことだと言えるではないか。
ようやく暮れなずんだ山は西と東とでは全く印象が異なってしまう。
陽のあたる側とあたらない側の差。
灰色の涸沢を覗き、それから上の方へと目をあげてゆくと、少しだけ頭を橙色に染めた常念がみえる、と思う間もなく同じ灰色からシルエットに変わってゆく。
その代わり今度は空が今までになく明るい存在となりながらも翳りのある赤味を増して涸沢は夜の世界に入り、小屋の灯が懐かしく暖かくみえてくる。
空は真上から暗く、濃い紺色からだんだん西にかけて黄色味を帯びて延び、それが全く黄金色の輝きになって重い灰色の雲海の直中に突如きえている。
一日のうちの最も美しく厳しく誰にも声を出させない沈黙の刻。
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前穂高岳北尾根4峰正面北条新村ルート(87.9)

素晴らしかった今までの時間を振り返ると思わず溜め息がでるほど幸せで、身内が温かくなるこの一日。
今はもう星たちが 触れ合って鳴りだしそうな空のした。一枚の薄い布地の下にぬくぬくと身を横たえてもういちどふーっと溜め息をつく。
           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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朝、真東から影もつくらず照り出す太陽になにか周りが全て白々しく、昨夜の感情がいっぺんにどこかへ吹っ飛んでしまったような朝。
手の凍るような冷たい水、冷たい風、つれない朝。
それでもお湯を沸かしコーヒーを飲む頃になると体もあたたかくなり、昨日に引き続いての今日に期待をかける。
天気は極上。期待ができるというのも幸せなものだ。
ツェルトをたたんでしまうと、なにか急に内にあったもやもやが一時にふっ切れてしまって、今まで腹ばいになって懐かしんだ土の床にはいささかの未練もなく、ただの石ころだらけの場所になる。
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穂高岳滝谷を主稜線から見下ろす(88.9)

昨日よりさらに軽くなったザックを背負い、陰影のはっきりしだした涸沢岳をゆっくりと登りだす。
おやおやというような気の抜けない登り下りを繰り返していたのだけれど、9年前滝谷を登って通ったときにはこんなに厳しかったなんて印象はなかった。
これは氷がついたらちょっとしょっぱいだろうなぁ。
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やがて岩場で先行の熟年と青年の二人パーティに追いつき先に行かせてもらう。
「私はトシですからお先にどうぞ」
「やあ、すみません」北穂で予定の黒B罐を空けながら槍や滝谷を見ていると先ほどの二人ずれがやって来て言葉を交す。
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北穂高付近か?(88.9)

熟年氏は46,7才とかでなにかトシを誇るトーンが耳につくので、私は間もなく55才になりますと言ったらすこし態度が変わってキレットの方に下りて行ってしまった。
やはりトシのわりにゲンキといってもらうとさらにゲンキが出るものであることはよぉーっく知っているが、そんな人をつぶすとまたまたゲンキになる悪いクセをもっているのです。
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北穂高頂上(88.9)

昨夜、なるべく誰も来そうにないようなところへツェルトを張ったのに遅くなるにつれ周りにテントが建ち、ウィークデイだというのに山になど来る奴はいったいどういう仕事をしているんだろと思っているうちに私の幸せなツェルトの中に
「ねぇー○×ちゃん(ちゃんですぞ!)どうしようー」
など、隣のテントの男女ふたりの声、いつまでも続くので
「エヘン、エヘン(二度も)」咳ばらいして牽制したのだがそんなことに気のつく奴らではない。
「風邪引きのオジンが居るわ」位のところで又寝つき下手を演じてしまった。今どきの若い奴らといったら...と言った訳で本日はあまり機嫌がよろしくない。
ちょっと他人をつぶして嬉しがるくらいは目をつぶっていただきたい。
北穂小屋にまわり窓の外から暗く静かな内側にじっと目を凝らす。ここで何時になったらバロックや二泊目のステーキを味わうことができるのか...未だ夢のままだ。
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槍ヶ岳(90.9)

碧空に白い雲、緑のはい松の南陵を下って涸沢ヒュッテに寄ると、これが山小屋かと驚くばかりの土産物、呆気にとられながら石の道を横切って行くと、大きな土木機械がごうごう音をたてて雪崩除けの蛇籠を積み上げている。
涸沢小屋のベランダにのぼり周りに居る甲羅干し諸君の会話に耳を傾けていると、どうしてどうして若さと時間と¥のリッチさに、この熟年のおじさんには太刀打ちできないものがある。
いまにみておれ、オレだって何時かはせめて時間くらいリッチにやってやる、と決意を固くしたのであった。
それにしてもここから見る涸沢岳や周りの姿は日本離れしていると思う。
俗だがなんて良いところに位置しているのか、明るいのか、かわいているのか...声には余韻がない...。
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涸沢(88.9)

歩きながらも世間話に大声のおばん族を後ろからかき分け、すり抜け横尾に到着、木陰で汗を乾かしながら、ラーメンのための湯を沸かす。目のまえの細い木を見るともなく見ていると、乾き切ったような色も存在感もない空気が白樺の細い枝をさり気なくさっとひと撫でして風がおきる。
梓川の水にもまた色もなく光だけがきらきらとつきささりながらとび跳ねて、和らぎも落ち着きもない。
透明で冷たいものが岩の陰や木の陰に浸透しながら自分の場を確保しようと鼠のように駆け回り、力のなくなった夏に攻撃をしかけ、戦いが始まっているようだ。
白っぽい木の葉もただ吹かれふるえているだけ。
時々ふっと脳味噌の端をかすめていく「死を厭いながらも愛する」といったような言葉はまったくこんな世代交代の風の中に身をおくと、どこの誰が考えていたのかしらと思いたくなってしまう。
こんな場所は自分の内をかき回されるようで、何か落ち着かない。
自分の好きな場所に居る筈なのに、そそくさとラーメンを啜り込み、通いなれた上高地の道を行き交う人に目もくれないで少しうつむきながら足早に歩く。
あたたかだった山旅は季節の変わり目、影のはっきりした冷たさの滲み出てきた今日の横尾でおしまいだ。
ボロ靴がひたりひたりと湿った道を歩いていく。
   
おわり
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涸沢(88.9)


以下管理人記
TVで韓国の海鮮料理店をやっていた。一度ソウルへ連れてってくれ、あれを食べよう!
驚異的に若いSさん」でふれた岳兄Sさんから連絡があったのは年明けてすぐだった。
実は3月に行くことになっているので一緒に如何ですか...
...と、誘い水を垂らしたら間髪置かず、よっしゃ行こうといういう返事!
すぐ自身で飛行機チケットを予約された。
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穂高岳屏風岩(96.1)

今度打ち合わせすることになったが、実は気になっていることがあった。
預かっている山紀行何通かをこのブログに上げる約束を未だ果たしていない。
写真を頼んでいたのだがタイミングが合わず延び延びになっていたからである。
韓国行きの打ち合わせの時にSさんは重くて分厚いアルバムを4冊も私に託してきた。
そのアルバムを拝見すると驚くばかりである。
私と疎遠になった頃から一段と厳しい登攀に取り組んでいた。
還暦を超えて冬の穂高の屏風岩にも登っている。
私より14歳も年上の本当に尊敬すべき先輩である。
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穂高岳屏風岩(96.1)

で、やっとこの紀行文が写真と一緒に上がることになる。
ここに挙げた写真はまだほんのサワリである。
まだSさんの原稿が2通残っている。
公開するときはまた写真をどっさりと載せたい。