親分のレガシーは軽やかに中央道をひた走り...
しばしのまどろみから覚めたら駒ヶ根SAに滑り込んでいた。
例の如く菅の台駐車場にテントを張ったのは深夜。
少し寝酒と思いきや....
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数十年ぶりに親分の家に集合。
私が初めて親分の家を訪ねたのは72年の暮れだっただろうか..
家業を引き継いだ彼は新しい事業に着手した頃。
そして彼の奥さんも新しい生命を授かっていた。
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そして今、事業を大きく拡大し三人の息子とともに会社を運営している。
夜道に不安を抱えながら目を凝らし彼の家の前に着くと、先着のNと家の前で遅くなった私を待っていた。
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私の結婚当初、引っ越しのトラックを貸してくれたり、アパートの風呂桶を都合してくれたりしてくれた親分。
そんな恩を忘れて、私が山を去り数十年...音信不通の不義理をしていた。
というより私が恥知らずで常識の無いどうしようもない人間だったのである。

以前にも書いたが、数年前....
私と同世代の知人が死の床にあり気が塞いでいた頃だ。
偶然に親分の会社のHP見たら社長の名前が息子の名前になっているではないか!
それ以来彼の身に何かあったのかも知れないと気になって仕方がなかった。

ある日、中村区の日赤病院に知人を見舞いに行った。
知人はぐっすりと眠っていた。
起こすのもはばかられ、傍らの椅子に腰掛けてじっと彼を見つめる。
頑強で大きかった彼の身体は縮んだように小さくなっている。
小さな寝息を立てて寝入る姿に胸を衝かれた。
いたたまれなくなりそのまま病室を出た。
その帰りに思い切って親分の会社に電話をかけたのだ。
彼は不在だったが電話に出た女性は(奥さんだったのかな)にこやかな声で親分の健在を伝えてくれた。
長い間ウジウジと溜めていたものがスッと消えてホッとして電話を切ったら、間髪を置かず私の携帯に懐かしい声が響いたのである。
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それから一ヶ月ぐらい経った頃だろうか、今度は岳友のNからこれまた数十年ぶりに....昔と変わらぬおどけた調子で....ハロー!と電話がかかってきたのである。
親分からわたしのことを聞いたのだろう....
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精一杯生きてきたつもりの私だったが、今更ながら置き去りにした人とのかかわりに恥多い人生を送ってきたものだと思い知らされた。
その間、瀕死の床にあった知人はこの世を去ったが、人とは会えるうちにあっておくべきだと私を諭してくれたようだ....
こうして一抹の自己嫌悪を拭いきれないまま浦島太郎のような私たちの人間関係が細々ではあるが復活し現在に至っている....
今は彼らに、そして何かに感謝したい、素直にそう思う。
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寝入った頃は東の空が既に明るくなりかけていた。
そして目が覚めたら6時40分!
始発が7時15分なのでテントを畳んだり荷物をまとめたりバタバタである。
予想通り今日はいい天気だ!
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始発のバスには乗客20人前後。
ウィークデイとあって少なめだ。
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しらび平にて
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しらび平にて
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一年ぶりの千畳敷
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今年は雪が多い。
ところがナンとオレはアイゼンを忘れている...なんで???!!!!
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幸いピッケルはある。行けるところまで行こう...
腹を決めて身支度を整えカールの底に立った。
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南アルプスがよく見える。
いい天気である。
ロープウェイで上がる時には辛うじて見えた富士山は雲に隠れてしまった。
関東地方は大気が不安定らしいと親分が言っていたが南アルプスにかかっている雲はそのせいだろうか。
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二人とも歴史記念館に入ってもおかしくないショウイナードの12本爪アイゼンだ。
スキー場のTバーリフトが動きはじめた。数人が滑りを楽しんでいた。
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スキーヤー比率はかなり多い。
伊那前岳の斜面一帯、宝剣の両サイドの斜面にもシュプールが残っている。
宝剣のすぐ右側の斜面はここ数年、親分が毎年滑っているところだ。
今年は5月3日に写真が送られてきた。
http://yari-hotaka.doorblog.jp/archives/51226115.html
転倒した時のためにストックを持たずバイルを持って滑るのだそうだ。
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宝剣岳の岩場に向かっている人がいる!
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この雪の斜面はなかなかキツい。
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幸い気温が高く雪は腐っているのでアイゼン無しでも行ける。
踏み跡を辿ったりキックステップをしたり....
足跡から察すれば岩場に取り付くパーティもかなりあるようだ。
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先行する私を親分が撮ってくれた。
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かなり登ってきたが....
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今日は雪の照り返しで陽に焼けるだろう。
陽焼け止めのクリームをしっかり塗ってきた。
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先行パーティが末端から直接取り付いている。
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取り付きバンドで追いついた。
大阪の方で1946年生まれの御年71歳。
使い込まれたギア...ずっと現役を続けていらっしゃる方だ!
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アイゼンを履いたまま登って行く!
トップの方もアイゼンを履いたまま、出だしにやや躊躇していたがA0で難なく越えていった。
しかし1本目のハーケンまでが厄介そうだった。
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御年71歳氏、おそらく冬季のクライミングも豊富に経験されているのだろう。
尊敬します!
そしてあっという間に彼らは姿を消し....
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ようやくわれらのパーティがそろう。
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ガストン レビュファも使っていたガリビエールのヘルメットも斯界周辺では全く見かけない。
ショウイナードのアイゼンといい、カジタのセミチューブバイルといい....
一年一回あるかないか....これで登れるところしか行かない。
いざ鎌倉に備える農民雑兵の錆び付いた槍みたいなものである。
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親分がいてくれるので3人の気分はあちこちの岩場を巡っていた20代に甦る。
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登山靴やアックスなどをここにデポしておく。
昨年と同様Nがトップで取り付く。
バンドを一段上がって左からトラバースするように回り込んで頭上に来た。
ガッチリした岩を掴んで小さなスタンスに身を預けながらのクライミングは豪快である。
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私に続いて親分も続く。
ボルダリングに通っているというだけあってよどみがない。
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いい天気!
このロケーション!
ガッチリした岩を登る爽快感!
懐かしくも新鮮であり、至福の時間である。
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しかし....
さあ、ここである。
ここから4~5mくらい登って右へトラバースする。ハーケンに導かれる。
昨年、一昨年とNはここをフリーで登っている。
私はフォローで2回テープアブミを使った。
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登りかけては戻るN。
今日はなぜか指の力にすぐ限界が来るようだ。
そして意を決して登りだしたのだが指が持ちこたえられなかったのか、まさかのフォール!!
2mくらいのフォールだった。
この写真の足下よりやや下のスラブにやや仰向けに直接叩き付けられ鈍い大きな音がした。
幸い打ちどころが良かったのか左手の肘辺りを打ったがかすり傷程度ですんだ...
本人にとってもまさかのフォールだっただろう。
ランニングを2本取っていたので私にはほとんどショックはなかったのだが・・・
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Nをビレイするユルいジイサマ・・・
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Nの不調に緊張が走る。
出し気味のザイルを戻す。
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親分
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それまではノンビリと写真などを撮っていたのだが....
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Nの名誉のためにもう一度言っておこう。
彼は昨年、一昨年ともこのピッチをトップでフリーで抜けている。

一旦、ビレイ点にもどってきたN、左手の甲を打ったようだ。
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ここで潔く撤退とする。
Nは気丈にハーケンのところまで登り返しビレイを外してきた。
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一段下りダケカンバの太い幹に直接ザイルをセットして懸垂開始。
ザイルは下の雪渓まで届いている。
取り付き点で靴を履き替え荷物をまとめて雪渓に下り立った。
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無事に雪渓に下り立ったことで体中に安堵感が広がる。
こうしてジイサマたちの冒険はあえなく終わった。

だれも代わろうと言わないもんな!!
Nは珍しく愚痴をこぼしたが本心じゃないことはわかっている。
Nが行けなければ今の我々はそれまでなのである。
あれから気持を切り替えて私がトップに立ってもフリーではもちろん行けない。
昨年はあそこで二回アブミを使っている。そんなことをしてモタモタしてトラブったりしたらロープウェイの時間と競争になってしまうだろう。
もう昔の我々ではないのだ。
これで正解なのだ。
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雪が朝よりもさらに腐っているのでアイゼンはいらない。
ラッキーだ。
ラストの私はカールの底までロープを引きずったまま下った。
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昼の時間が長い今頃に雪の残る山は自然の最高のプレゼントだ。
東面の山肌が翳り午後の時間がゆっくり流れていく。
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朝木曽駒に向かった人たちはすでに大半は下って来たようだ。
この時間から登る人もいる。
ホテルに帰り着いたとき3時発ロープウェイの案内を放送していた。
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ホテルのレストランから見える宝剣は外から見るよりも迫力がある。
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Nよ、今年もありがとう!
親分、一緒に来れて嬉しかった
ジョッキで乾杯した後さらに瓶ビールを追加した。
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無事?で帰ることを感謝しよう。
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俺たちに残された時間を少しでも長く....
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菅の台の近くのこまくさの湯でひと風呂浴び、出てきてもまだ空は明るい。
遥か高みの稜線に小さなニキビのような突起物の宝剣岳があった。