私がこの世を去れば、息子は業者に頼んで遺されたものは処分するという。
それでいい。
私も父や母のものはほとんど持っていない。
写真然り。
でも私自身にはまだ執着があるからまあ生きた証しはなかなか捨てられない。
韓国の民謡の一節・・空手来空手去(コンスレコンスゴ)という歌詞があった。
手に何も持たずにこの世に生まれ何も持たずにこの世を去るという意味だ。
欲に取り憑かれる人間を揶揄しているのだろう。
この言葉を知って以来、空手去(コンスゴ)が私のライフワーク、つまり終活のテーマと肝に命じることにした。
しかしたやすいことではない。
で、4ツ切りに引き延ばして悦にいってた昔の写真・・・現に今日、中身を見ないで捨てると思い立ったのに立ち往生。
生きた証しを消すような、自分で自分を消し去るような・・
先が思いやられる。

山に憧れるようになったのは中学一年の時、富山に嫁いだ姉婿に立山に連れてってもらって以来だ。
森林限界を突き抜けた高山の風景を初めて目の当たりにしすっかり魅了されてしまったのだった。

岩登りに憧れを抱いたのは所属した登山サークルでの夏合宿に横尾から涸沢に向かう途中に見た巨大な屏風岩の印象が強烈だった。登っている人は容易には見えないが。クライマーのヘルメットが時おりチラチラ光って初めてそこに人が登っていることがわかる。
彼らがまるで別の次元の世界にいるように思えて、私にも機会があればあの壁にチャレンジしてみたいと思い立ったのだ。
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スキャナーは持っていないので引き延ばした写真をカメラで撮った。
1975年前後の穂高岳屏風岩東壁、中央壁。
よく通ったところで、見慣れた風景のはずだが今ではなんて遠くなってしまったことか・・
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これは70年代半ば、岩登りを始めてしばらくした頃のものだろう。
11月の屏風岩東稜だ。
ピッケルらしきものがザックにつけてある。
ほとんどアブミの架け替えに終始したと思う。
岳友K他新人一人の3人パーティだった。
先行パーティのセカンドの女子が、取り付きのT2からすぐ上の30センチくらいの庇を越えれなくて下って行った。
この頃は初日は中央バンドのT4かT2でビバークして2日目には壁を抜けて屏風の頭を越えて新村橋〜上高地に下山というパターンだった。
しかしそれでは2日目が余りに長くなるのでそのうち初日は行けるところまで行ってビバークというパターンになったなあ・・
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これは74年5月か6月、東壁の象徴といわれた青白ハングの尖端を越えるディレティシマルートだろう。
岐阜登攀俱楽部の青木寿氏が冬に単独で拓いたルートだ。
写真は青白ハング帯にさしかかる入口か・・・
岳友Nと親分がこの隣の鵬翔ルートを登ったのに刺激されてY氏と出かけたのだった。
東壁の多くのルートがそうであるように、ここもアブミの架け替えに終始する。
前傾した壁をつたって徐々に空中にせりだし、最後にルーフにぶら下がり越えるところがこのルートのクライマックス。
それなりの快感は確かにあった。
それが今ではフリーで登るらしい。
その眼で見るとラインが見えてくる・・・登れないけど。。
という以前、ここまでもたどり着けない・・
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これも屏風岩ディレティシマだろうと思うが半袖で登っているので違うかなあ・・・
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1980年代、ある冬の八ヶ岳。阿弥陀岳から撮ったようだ。このときは岳兄Oさんに率いられて何人かで赤岳鉱泉から阿弥陀に登り硫黄までグルッと周回した。
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これはどこだろう・・・剣の早月尾根のようでもあるが・・・頃は夕刻だね。
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これはある80年代前半のある正月、早月尾根からの剣の頂上付近だと思う。
ガスに霞む稜線の不安さが・・・
風は強かったが見通しが利いたので登ることが出来た。
この日はかなりのパーティが登頂した。
頂上では風の来ない陽だまりで休憩した記憶。
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これも同じときの早月尾根から見た小窓尾根核心部?
小窓尾根は冬には登れなかったが5月に登ったのでまあ好しとしよう。
しかし5月の記憶は全く無い。大人数のパーティで登ったので多分あまり苦労しなかったからだろう。
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ありゃ、こんな山にも登ってた!
この写真を見るまで思い出すことも無かった。
四阿山(あずまやさん)!
先日八方尾根から見えていた山だ。
ある山スキー同好会について行ったときのものだ。
1996年1月28日と日付があった。
もうほとんど山から身を引いていた時期だ。
菅平のスキー場からシールを着けて登り・・・
みんなスイスイ滑って行くのに一人こけまくって下っていった楽しくない記憶(笑)
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こりゃ70年代後半11月の八ヶ岳裏同心ルンゼだ。
11月3日前後には既に氷結してこんなやさしそうな滝が連続している。
岳兄故Oさんのビレイもいい加減である。
落ちるはずが無いと思っているのだろうが・・・
この時期は滝が雪に埋もれることも無く、楽しい氷瀑登りだった。
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裏同心ルンゼをつめて行くとやがて大同心北西稜の根元のハングした滝にぶつかる。
写真はその滝を右からブッシュを掴んで強引に突破しているところだ。
冷たい風に小雪が舞う稜線の縦走路に上がると赤岳の方に向かう一団とすれ違ったが、帽子もなくタオルを顔に巻いているだけのイデタチにのけぞったのを覚えている。
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剣岳源次郎尾根1峰平蔵谷フェースの成城大ルートだったと思う・・・
81年夏合宿だった。
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当時まだ高校生だったK君の記録によれば、
夏の合宿初日、剣沢にベースキャンプを張って雪渓にビールを冷やし昼寝してから奥大日岳へハイキングに行った。
2日目は源次郎尾根1峰下部中谷ルートを登ったが順番待ちなどで下部を登ったところで時間切れ、一般路からベースに戻った。
3日目は一般路からアプローチして1峰平蔵谷上部フェースを名古屋大ルートと成城大ルートにパーティを分けて登り本峰を回ってベースに帰着となっている。
私は成城大ルートだった。
4日目は立山に縦走して下山した。

この写真は縦走中に別山あたりで撮ったのだろう。
よくある写真である。
ピークを左に寄せて八ツ峰をもっと入れるべきだった。
毎日浴びるようにビールを飲んでたね・・・懐かしい・・・



写真プリントをデジカメで撮っても結構イケルもんだ。

懐かしさはこの世の未練、断捨離はあの世への勇気(笑)

さて写真は未練に負けて結局またもとの位置に。
何年も見ないで過ごして来たのでこれからも見る機会はそんなにないはずだが・・・