夏は南アルプス。
昨年、光岳や聖岳を巡って、森林限界が高く大きな山容を重畳と連ねる南アルプスの姿にすっかり魅せられてしまった。
昔を思い出してしまった
南アルプスをこよなく愛した岳兄、故Oさんの言葉が甦る。
・・・北アルプスに比べて山が深くてデカイわなあ・・・
大学の山岳部で全山縦走したI君は、
・・・光岳に着く頃は人間関係もバラバラ。早いヤツと遅いヤツは山1つ分ぐらい差がついて、みんな自分のことで精一杯、テン場に着いたら早いヤツは勝手に飯食って寝転んでいる。
で、寸又峡の温泉につかった途端、人間関係が元の鞘に納まるんだわ・・・
ドリップコーヒーを友に単独でテント泊全山縦走したN君は、
(聖岳から)深い赤石沢の向こうに赤石岳、百間洞。大沢岳〜兎岳までの大きな湾曲。光岳までの長い稜線。灰色に見える大きな台形をした富士。これが南アルプス以外の一体何であろうか・・・
さらにN君との昔を思い出してしまった
野武士的風貌、眩しそうに目を細め遠くを見つめるような眼差しに孤独な影を漂わす好漢N君、どうしているかなあ・・・
彼とは、とある晩秋の日に北アルプスの一角、唐沢岳(2632m)幕岩の易しいルートを登り唐沢岳頂上から燕岳までの縦走を企てたことがあった・・・
初日は雨で、取り付き付近の洞窟でビバーク。
翌朝早く取り付き、岩場が終わったのが午前の10時ころ。
さあ昼前には唐沢の頂上だぜと意気が上がったのも束の間・・
それからは背丈を超えるような這い松と密生した石楠花の連合軍を相手に、頂上まで素手で大格闘!
白水社「日本登山体系」には終了点から唐沢岳の頂上までは2~3時間とかの快適な岩稜歩きと書いてあったが・・・さては、奴ら登ってないな・・・怒!
(頂上近くまで食い込んでいるルンゼを登ればよかった・・・後の祭・・・)
後にも先にもあんな薮漕ぎはなかった・・・
とっぷり暮れた頃に頂上に着いたときはすっかり消耗しきっていた。
シンシンと冷え込んで来る縦走路をヨタヨタと辿り餓鬼の小屋に着いたのは午後7時か8時頃ではなかったか・・
小屋の戸を開けたら皆ギョッとしたのか・・
突き刺さるような視線が一斉に異様な風体の私たちに集中したよねぇ・・
やむなく小屋に泊めてもらったが・・
「中房あたりで飲みねぇ」と親父さんが私たちにビールを差し出してくれたときは思いがけなく人の情に触れたような気がして胸が一杯になった。
山に生きる人との触れあいがあるかもしれない・・・
この出来事が小屋泊まりも捨てたもんじゃないなと思うようになったきっかけである。
しかし燕までは疲れすぎて挫折、東沢乗越から中房に下山してしまったのだが・・・
あれから数十年、N君元気で生きてるよね!?
さて・・・
話が大きくそれたが、この年になって皆さんの御後塵を拝して私も遅まきながら南アルプスに足を踏み入れさせていただいた次第。
南アルプスを愛した岳友たちの記憶が私をここまで導いてくれたのである・・・
で、今年は椹島〜荒川岳〜赤石岳〜聖岳への3泊4日の縦走計画を立てた。
3,000m超のピークを幾つも踏み、距離も高低差もあるスケールの大きい南アルプスらしい稜線歩きを満喫できる・・・
いわば南アルプス南部の鉄板人気コースである。
しかし心臓弁膜症の発覚以来、体力的には全く自信が無くなった。
山登りに後ろ向きになっている自分がいる。
それで先週、木曽駒ヶ岳に出かけ南アルプス的スケールを体感しながらのトレーニングを行ってみたのだ。
結果は日帰り往復は果たしたものの、案の定だが疲れ切り、膝痛に足を引きずって、体力の低下を思い知らされた格好だ。
そして何日もの後遺症的筋肉痛も追い打ちをかけてきた・・・
でも何とか耐えて今回の決行となった次第だ。
しかし、天気は微妙である。
天気が悪ければ赤石岳まで行ったら聖を放棄して下山しよう。
勿論小屋泊まりである。
この道は初めてなのでナビに頼り切り。細い山道かと思えば広くなったり・・・
あちこち曲がったり、その上闇が深く雨も激しく全くわけが分からない。こんな道が70kmくらい?!
いよいよ目的地の畑薙に近づいてきたかなという頃、真っ暗な中を合羽を来て歩いている人とすれ違った。
ええっ!こんな夜中に?!
しばらく行くとまた歩いている・・・一体どうしたんだろう・・・夜も11時ごろである。
3人目の方とすれ違いしばらく行くと大きな電飾の車が一台停まっていた。声をかけると・・・
・・ええ、トランス ジャパン アルプス レースなんですよ。
このあともう一人女性が来ます・・・
いやーーースゴイ!
しばらく行くと確かに真っ暗闇の中を女性が一人で歩いて来る。
下山した後にネットで調べてみたら・・・
果して、7日午前零時に富山県の海岸をスタートして14日の深夜24時までに静岡の海岸まで400km以上・・・
丸マル8日間のサバイバルレースかぁ・・・
ということは今日は13日だからあと25時間ぐらいでゴールしなきゃいけないのか・・・
完走者を調べると、あの彼女は完走した唯一の女性23位の栗原葉子さんだったのか!
皆さん凄い!凄すぎる!
・・ってところに遭遇したわけだわ・・・
夜半の雨、そしてこの天気・・・
意気は下がる一方である。
3泊4日は天気予報に雨マークもあったなあ・・
今日8月14日(日)の天気はいいはずだった。
大井川流域から登山するのは言うまでもなく初めてのことだ。
事前の情報では朝一のバスは7時半だが、人が多いときは6時半とか7時に出るという。
それは当日にならないと分からないということだった。
ここは旧大倉財閥系の特殊東海製紙が所有し特殊東海フォレストが管理する土地のようだ。
間ノ岳を基点にして大井川を挟み聖岳と笊ヶ岳を結ぶ広大な森林を有する土地!
いかにして私企業がこの国立公園内の広大な土地を所有するに至ったかも興味津々だがそれはさておき・・
この会社が運営する山小屋などを利用する人たちに限って送迎の利便性をはかっているのだ。
バスに乗る際の料金3000円は山小屋の宿泊料金の一部であり、バスの領収書を提示すれば山小屋でその分差し引いて計算してくれる。そして下山時に二軒小屋なり椹島ロッジで山小屋での領収書を示せば無料で帰りのバスに乗れるというシステムである。営業運行ではないこのバス運行は親切と言えば親切だが下山時の最終バス発車は14:00と早すぎる。そのバスに間に合わなければ、山小屋に泊まるか自力で下るしかない。その点がイマイチだ。
岳兄故Oさんはこのシステムが気に入らず。伝付峠越えで入山したり、伊那側からもよく入山していたのだった・・
さて、当然臨時バスをアテにして準備をしていたがアナウンスも無い。
ウロウロしている間にバスは6時半には並んでいた人たちを乗せて出発してしまった
後のバスはすぐ来るとのことだったが結局7時半まではバスを待つハメになってしまった。
もうなるようになれである。
バス乗車時に今日の泊まるところと小屋泊の場合は食事の注文も申告する。
バス運行中にドライバーの方が無線で詳細を連絡している。
椹島から今日中に荒川三山を越えて荒川小屋泊というタフな女子もいて内心舌を巻いてしまう。
コチラは7時半のバスに乗ってそれから歩き出して千枚小屋にはたしてたどり着けるだろうか心配しているのに・・・
レベルの違いはどうしようもない。
8時半ころ椹島ロッジで下車。
本音はもっと奥の二軒小屋から登りたかったが、そこへは二軒小屋で泊まる人しか運べないという。
いたしかたなし。
椹島ロッジ周辺はとても素敵なところだった。
しかし両側から山が迫り上高地のようなアルプスの高峰の景観も望めない・・・
のんびりとするにもすぐ飽きがきそうな・・・
先週の木曽駒トレーニング登山の経験を生かして水分はスポーツドリンク1L、名古屋水道水1L、自家製お茶0.75L。
ハイドレードはペットボトルに付くタイプで本日はスポーツドリンクにセットした。
食料は本日の行動食としてオニギリ4個、その他次の日からの行動食としてゼリー、パウンドケーキ、モミジまんじゅうなど何時ものやつ。
ビニル袋入りレーズンとピーナッツを混ぜたものはポケットに入れていつでもツマミ食いできる。
それに木曽駒で重宝したプチトマト20個以上をパックにつめた。
ひょっとして・・避難小屋泊まりになる可能性も考慮して、非常食としてラーメン2個とワカメスープの素とトマトスープの素各2ケ。
そのために大昔使ってたメタクッカーと固形燃料のメタとエスビット。ガスバーナーとガスを避けたのはガスのボリュームを嫌い、また狭い避難小屋でのゴーという噴射音が、未明に他人様の睡眠を邪魔しては行けないという配慮のつもり。
水が沸くまでは相当時間がかかるが・・・
ちなみにこの橋は滝見橋。
なるほどすぐ美しい滝が現われる。
先を譲るのは慣れている。
このお二人にも先を譲る。
滝のそばからさっきの滝見橋。
川原には釣り人や川遊びの人が・・・
昔の伐採期以後当時の幼木などが自生してきた所らしい。
ずっと森林が続くが日陰の道の方が日光に曝されるより有り難い。
登りは私たちの乗ったバスの乗客中では最後尾のようだ。
登り返すと林道に出る。
林道を右に折れ20m?くらい行くと登り口があった。
この辺りは登山道と林道が尾根を挟んで近接しているところだ。
この深い山の上まで林道は登ってきているのでややシラケる。
古くから木材の伐採地として人が入り込んで来た所をこのように管理しているのか・・
まさしくその通り美しい!
抜かれたカップルに追いついた!
もっともあちらさんはテント泊の装備持ち。
それとも小赤石岳3081m?
荒川岳は雲の中
立て看板にあった木馬道(きんばみち)緩やかな登りである。
またテント装備のパーティに追いついた。
久しく追いつき追い抜いたことがない私だが,今日は一体どうなっているのだろう。
しかも、人を抜いたりバテた仲間が出たりすると元気になるのは昔からだ。
私の性格が悪いからか?
・・・だそうだ。
このあたりまで林道が来ているのだろう。
トリカブトの群生
あと15分、まだ15分も・・という微妙さ・・・
せめて10分以内のところに看板があれば喜び安堵感も大きいと思う。
料金内訳は登山小屋5500円、夕食2000円、朝食1000円、トイレ使用100円、ビール500ml×2で1600円
合計10200円。
バスに乗る時に払った3000円を差し引いて7200円をこの小屋に払った。
シュラフがなければ寝具代がいくらか加算されていただろう。
今日の寝床はここロフトである。この離れの百枚小屋、階下も満員だが、このロフトは私を入れて3人。
一番向こうの方はAさん。
真ん中の方は写ってないが今回の荒川、赤石で3000m全踏破という岐阜のBさん。
もっとも私以外の2人は自炊素泊である・・・
結局この3人とは帰りのバスまで同じとなるのである。
ビールを飲みながら着替えというより着込んで行く。ここは2500m超の高山で、下界とは空気が違う。
それにしても・・
小屋に落ち着き一旦安堵すると、トイレやちょっとした外巡りの動きにも息切れが激しい。
こんなのが心臓に良くないのだろう・・・まあ。疲れていないわけがないのだから。
5時40分
千枚小屋の夕食風景
メニューはチキンとハンバーグだったかなあ?
美味しかった。
百枚小屋の宿泊者は意外にも朝の始動が遅かった。
昨年泊まった聖平や茶臼の小屋では3時前からゴソゴソと動き出してそんな時間から出発する人もいたが今日は4時前からゴソゴソだ。
今日は荒川、赤石から百間洞の小屋までの長丁場だが・・・
午後4時までに百間洞の小屋に入って下さいと小屋の方にいわれた・・
4時半からの朝食そそくさとをすませ・・
外に出たら・・・
人々が日の出を待ちながら、雲海に浮かぶ富士山に見とれている。
天気予報は午後から崩れるという。
今日は今回の山行のハイライトとなるはずだが・・
5時、弱々しく好天を期待しながらの出発。
(その2 荒川岳へ続く)
昨年、光岳や聖岳を巡って、森林限界が高く大きな山容を重畳と連ねる南アルプスの姿にすっかり魅せられてしまった。
茶臼岳から上河内、聖岳、赤石、悪沢岳方面 2015.8.12
昔を思い出してしまった
南アルプスをこよなく愛した岳兄、故Oさんの言葉が甦る。
・・・北アルプスに比べて山が深くてデカイわなあ・・・
大学の山岳部で全山縦走したI君は、
・・・光岳に着く頃は人間関係もバラバラ。早いヤツと遅いヤツは山1つ分ぐらい差がついて、みんな自分のことで精一杯、テン場に着いたら早いヤツは勝手に飯食って寝転んでいる。
で、寸又峡の温泉につかった途端、人間関係が元の鞘に納まるんだわ・・・
ドリップコーヒーを友に単独でテント泊全山縦走したN君は、
(聖岳から)深い赤石沢の向こうに赤石岳、百間洞。大沢岳〜兎岳までの大きな湾曲。光岳までの長い稜線。灰色に見える大きな台形をした富士。これが南アルプス以外の一体何であろうか・・・
さらにN君との昔を思い出してしまった
野武士的風貌、眩しそうに目を細め遠くを見つめるような眼差しに孤独な影を漂わす好漢N君、どうしているかなあ・・・
彼とは、とある晩秋の日に北アルプスの一角、唐沢岳(2632m)幕岩の易しいルートを登り唐沢岳頂上から燕岳までの縦走を企てたことがあった・・・
初日は雨で、取り付き付近の洞窟でビバーク。
翌朝早く取り付き、岩場が終わったのが午前の10時ころ。
さあ昼前には唐沢の頂上だぜと意気が上がったのも束の間・・
それからは背丈を超えるような這い松と密生した石楠花の連合軍を相手に、頂上まで素手で大格闘!
白水社「日本登山体系」には終了点から唐沢岳の頂上までは2~3時間とかの快適な岩稜歩きと書いてあったが・・・さては、奴ら登ってないな・・・怒!
(頂上近くまで食い込んでいるルンゼを登ればよかった・・・後の祭・・・)
後にも先にもあんな薮漕ぎはなかった・・・
とっぷり暮れた頃に頂上に着いたときはすっかり消耗しきっていた。
シンシンと冷え込んで来る縦走路をヨタヨタと辿り餓鬼の小屋に着いたのは午後7時か8時頃ではなかったか・・
小屋の戸を開けたら皆ギョッとしたのか・・
突き刺さるような視線が一斉に異様な風体の私たちに集中したよねぇ・・
やむなく小屋に泊めてもらったが・・
「中房あたりで飲みねぇ」と親父さんが私たちにビールを差し出してくれたときは思いがけなく人の情に触れたような気がして胸が一杯になった。
山に生きる人との触れあいがあるかもしれない・・・
この出来事が小屋泊まりも捨てたもんじゃないなと思うようになったきっかけである。
しかし燕までは疲れすぎて挫折、東沢乗越から中房に下山してしまったのだが・・・
あれから数十年、N君元気で生きてるよね!?
さて・・・
話が大きくそれたが、この年になって皆さんの御後塵を拝して私も遅まきながら南アルプスに足を踏み入れさせていただいた次第。
南アルプスを愛した岳友たちの記憶が私をここまで導いてくれたのである・・・
で、今年は椹島〜荒川岳〜赤石岳〜聖岳への3泊4日の縦走計画を立てた。
3,000m超のピークを幾つも踏み、距離も高低差もあるスケールの大きい南アルプスらしい稜線歩きを満喫できる・・・
いわば南アルプス南部の鉄板人気コースである。
しかし心臓弁膜症の発覚以来、体力的には全く自信が無くなった。
山登りに後ろ向きになっている自分がいる。
それで先週、木曽駒ヶ岳に出かけ南アルプス的スケールを体感しながらのトレーニングを行ってみたのだ。
結果は日帰り往復は果たしたものの、案の定だが疲れ切り、膝痛に足を引きずって、体力の低下を思い知らされた格好だ。
そして何日もの後遺症的筋肉痛も追い打ちをかけてきた・・・
でも何とか耐えて今回の決行となった次第だ。
しかし、天気は微妙である。
天気が悪ければ赤石岳まで行ったら聖を放棄して下山しよう。
勿論小屋泊まりである。
6時38分畑薙第一ダム夏期臨時駐車場
新東名島田金谷インターを出る頃は雨が激しくなってきた。この道は初めてなのでナビに頼り切り。細い山道かと思えば広くなったり・・・
あちこち曲がったり、その上闇が深く雨も激しく全くわけが分からない。こんな道が70kmくらい?!
いよいよ目的地の畑薙に近づいてきたかなという頃、真っ暗な中を合羽を来て歩いている人とすれ違った。
ええっ!こんな夜中に?!
しばらく行くとまた歩いている・・・一体どうしたんだろう・・・夜も11時ごろである。
3人目の方とすれ違いしばらく行くと大きな電飾の車が一台停まっていた。声をかけると・・・
・・ええ、トランス ジャパン アルプス レースなんですよ。
このあともう一人女性が来ます・・・
いやーーースゴイ!
しばらく行くと確かに真っ暗闇の中を女性が一人で歩いて来る。
下山した後にネットで調べてみたら・・・
果して、7日午前零時に富山県の海岸をスタートして14日の深夜24時までに静岡の海岸まで400km以上・・・
丸マル8日間のサバイバルレースかぁ・・・
ということは今日は13日だからあと25時間ぐらいでゴールしなきゃいけないのか・・・
完走者を調べると、あの彼女は完走した唯一の女性23位の栗原葉子さんだったのか!
皆さん凄い!凄すぎる!
・・ってところに遭遇したわけだわ・・・
夜半の雨、そしてこの天気・・・
意気は下がる一方である。
3泊4日は天気予報に雨マークもあったなあ・・
今日8月14日(日)の天気はいいはずだった。
大井川流域から登山するのは言うまでもなく初めてのことだ。
事前の情報では朝一のバスは7時半だが、人が多いときは6時半とか7時に出るという。
それは当日にならないと分からないということだった。
ここは旧大倉財閥系の特殊東海製紙が所有し特殊東海フォレストが管理する土地のようだ。
間ノ岳を基点にして大井川を挟み聖岳と笊ヶ岳を結ぶ広大な森林を有する土地!
いかにして私企業がこの国立公園内の広大な土地を所有するに至ったかも興味津々だがそれはさておき・・
この会社が運営する山小屋などを利用する人たちに限って送迎の利便性をはかっているのだ。
バスに乗る際の料金3000円は山小屋の宿泊料金の一部であり、バスの領収書を提示すれば山小屋でその分差し引いて計算してくれる。そして下山時に二軒小屋なり椹島ロッジで山小屋での領収書を示せば無料で帰りのバスに乗れるというシステムである。営業運行ではないこのバス運行は親切と言えば親切だが下山時の最終バス発車は14:00と早すぎる。そのバスに間に合わなければ、山小屋に泊まるか自力で下るしかない。その点がイマイチだ。
岳兄故Oさんはこのシステムが気に入らず。伝付峠越えで入山したり、伊那側からもよく入山していたのだった・・
さて、当然臨時バスをアテにして準備をしていたがアナウンスも無い。
ウロウロしている間にバスは6時半には並んでいた人たちを乗せて出発してしまった
後のバスはすぐ来るとのことだったが結局7時半まではバスを待つハメになってしまった。
もうなるようになれである。
バス乗車時に今日の泊まるところと小屋泊の場合は食事の注文も申告する。
バス運行中にドライバーの方が無線で詳細を連絡している。
椹島から今日中に荒川三山を越えて荒川小屋泊というタフな女子もいて内心舌を巻いてしまう。
コチラは7時半のバスに乗ってそれから歩き出して千枚小屋にはたしてたどり着けるだろうか心配しているのに・・・
レベルの違いはどうしようもない。
8時半ころ椹島ロッジで下車。
本音はもっと奥の二軒小屋から登りたかったが、そこへは二軒小屋で泊まる人しか運べないという。
いたしかたなし。
椹島ロッジ周辺はとても素敵なところだった。
しかし両側から山が迫り上高地のようなアルプスの高峰の景観も望めない・・・
のんびりとするにもすぐ飽きがきそうな・・・
8時55分
千枚小屋までの標高差は1400m以上・・・先週の木曽駒トレーニング登山の経験を生かして水分はスポーツドリンク1L、名古屋水道水1L、自家製お茶0.75L。
ハイドレードはペットボトルに付くタイプで本日はスポーツドリンクにセットした。
食料は本日の行動食としてオニギリ4個、その他次の日からの行動食としてゼリー、パウンドケーキ、モミジまんじゅうなど何時ものやつ。
ビニル袋入りレーズンとピーナッツを混ぜたものはポケットに入れていつでもツマミ食いできる。
それに木曽駒で重宝したプチトマト20個以上をパックにつめた。
ひょっとして・・避難小屋泊まりになる可能性も考慮して、非常食としてラーメン2個とワカメスープの素とトマトスープの素各2ケ。
そのために大昔使ってたメタクッカーと固形燃料のメタとエスビット。ガスバーナーとガスを避けたのはガスのボリュームを嫌い、また狭い避難小屋でのゴーという噴射音が、未明に他人様の睡眠を邪魔しては行けないという配慮のつもり。
水が沸くまでは相当時間がかかるが・・・
9時05分
赤石岳登山口は椹島からすぐだ。9時10分
千枚小屋への道は二軒小屋への林道がこの橋にさしかかる手前から左に折れて入る。ちなみにこの橋は滝見橋。
なるほどすぐ美しい滝が現われる。
先を譲るのは慣れている。
このお二人にも先を譲る。
滝のそばからさっきの滝見橋。
川原には釣り人や川遊びの人が・・・
9時20分
滝を正面に見てこんな吊り橋も。かなり揺れた・・・
10時8分
木々が若くなった所もある。千枚小屋への登りは大倉尾根に取られている。
このネーミングは大倉財閥の総師大倉喜八郎が88歳の1926年に200人の従者を率いてここから赤石岳に登ったところからそう呼ばれるようになったという。
大名旅行もかくやである。
82歳でエベレストを登った三浦雄一郎もビックリ!の大倉氏の勢、精力ぶりである!
深い森が気持のいい比較的緩やかな登りだ。
時折下りもあった。
今日のテーマは「自制」。
息が上がるほどのペースでは歩かないこと。
息が上がると回復しにくくダメージが大きい。
心臓にも負荷がかかりすぎバテも早くやって来る。
ゆっくりゆっくり一歩ずつ。
特に登り出しこそゆっくりだ。
すると身体がそのペースに徐々に順応してくれるようだ。
ハイドレーションを利用して歩きながら水分を補給しながら行ける。
だから休む回数はハイドレーションを利用しない時よりも少なくてすむ。
一度に沢山食べれないので適宜食べ物を口に入れるために、ところどころでリュックを下ろしてオニギリを頬張った。
これは疲れ切ってリュックを下ろすのではなく、余裕をもって休むことを心がけた。
このネーミングは大倉財閥の総師大倉喜八郎が88歳の1926年に200人の従者を率いてここから赤石岳に登ったところからそう呼ばれるようになったという。
大名旅行もかくやである。
82歳でエベレストを登った三浦雄一郎もビックリ!の大倉氏の勢、精力ぶりである!
深い森が気持のいい比較的緩やかな登りだ。
時折下りもあった。
今日のテーマは「自制」。
息が上がるほどのペースでは歩かないこと。
息が上がると回復しにくくダメージが大きい。
心臓にも負荷がかかりすぎバテも早くやって来る。
ゆっくりゆっくり一歩ずつ。
特に登り出しこそゆっくりだ。
すると身体がそのペースに徐々に順応してくれるようだ。
ハイドレーションを利用して歩きながら水分を補給しながら行ける。
だから休む回数はハイドレーションを利用しない時よりも少なくてすむ。
一度に沢山食べれないので適宜食べ物を口に入れるために、ところどころでリュックを下ろしてオニギリを頬張った。
これは疲れ切ってリュックを下ろすのではなく、余裕をもって休むことを心がけた。
昔の伐採期以後当時の幼木などが自生してきた所らしい。
ずっと森林が続くが日陰の道の方が日光に曝されるより有り難い。
10時17分
下山する人とよくすれ違う。鉄塔下1437m地点まで1時間強、コースタイムだろうか・・
気力、体力ともまだ充実している。
天候が好いせいもあるだろう。
気力、体力ともまだ充実している。
天候が好いせいもあるだろう。
登りは私たちの乗ったバスの乗客中では最後尾のようだ。
10時31分
岩頭見晴らしからやや下り・・岩頭見晴より悪沢岳3141m。
高い!遠い!
高い!遠い!
登り返すと林道に出る。
林道を右に折れ20m?くらい行くと登り口があった。
この辺りは登山道と林道が尾根を挟んで近接しているところだ。
この深い山の上まで林道は登ってきているのでややシラケる。
古くから木材の伐採地として人が入り込んで来た所をこのように管理しているのか・・
11時20分小石下あたりだろうか・・広葉樹の森を見逃したなぁ・・
オオシラビソの美しい森と地図に書いてある所。椹島から約2時間半登って1586m地点だ・・・千枚小屋まであと4時間半!
いつもならウンザリだが先週の木曽駒トレーニング登山が効いているのかまだ余裕。
ゆっくり1歩ずつと自分に言い聞かせている。
ご近所山友さんに借りたオスプレイの35Lザックも中々良い。
幅があって背中に馴染むので肩に食い込む重さが分散されるのかな・・
といっても所詮軽い荷物しかないが。
いつもならウンザリだが先週の木曽駒トレーニング登山が効いているのかまだ余裕。
ゆっくり1歩ずつと自分に言い聞かせている。
ご近所山友さんに借りたオスプレイの35Lザックも中々良い。
幅があって背中に馴染むので肩に食い込む重さが分散されるのかな・・
といっても所詮軽い荷物しかないが。
まさしくその通り美しい!
13時30分蕨段2073m
ようやく2000m越えた。
まだ小屋まで3時間とは!
でも不思議と今日は気持にゆとりがある。
まだ小屋まで3時間とは!
でも不思議と今日は気持にゆとりがある。
抜かれたカップルに追いついた!
もっともあちらさんはテント泊の装備持ち。
13時45分見晴らし台
赤石岳3120m?登山道を離れて見晴し台に立ち寄った。そこは林道の見晴し台だった。
それとも小赤石岳3081m?
荒川岳は雲の中
立て看板にあった木馬道(きんばみち)緩やかな登りである。
またテント装備のパーティに追いついた。
久しく追いつき追い抜いたことがない私だが,今日は一体どうなっているのだろう。
しかも、人を抜いたりバテた仲間が出たりすると元気になるのは昔からだ。
私の性格が悪いからか?
・・・だそうだ。
14時50分 駒鳥池付近
池が確かめられなかった・・・
このあたりまで林道が来ているのだろう。
トリカブトの群生
あと15分、まだ15分も・・という微妙さ・・・
せめて10分以内のところに看板があれば喜び安堵感も大きいと思う。
15時30分千枚小屋着 標高約2615m
さすがお盆ということで小屋は人も多い。ほぼコースタイムだが、もはやそんなことはどうでもいい。1日目、目標の千枚小屋に無事に着いたことが素直に嬉しかった。
ご近所山友さんからリュックと一緒に夏用のシュラフも借りて来たので寝具不要ということで本館ではなく離れの百枚小屋に・・
ご近所山友さんからリュックと一緒に夏用のシュラフも借りて来たので寝具不要ということで本館ではなく離れの百枚小屋に・・
料金内訳は登山小屋5500円、夕食2000円、朝食1000円、トイレ使用100円、ビール500ml×2で1600円
合計10200円。
バスに乗る時に払った3000円を差し引いて7200円をこの小屋に払った。
シュラフがなければ寝具代がいくらか加算されていただろう。
今日の寝床はここロフトである。この離れの百枚小屋、階下も満員だが、このロフトは私を入れて3人。
一番向こうの方はAさん。
真ん中の方は写ってないが今回の荒川、赤石で3000m全踏破という岐阜のBさん。
もっとも私以外の2人は自炊素泊である・・・
結局この3人とは帰りのバスまで同じとなるのである。
ビールを飲みながら着替えというより着込んで行く。ここは2500m超の高山で、下界とは空気が違う。
それにしても・・
小屋に落ち着き一旦安堵すると、トイレやちょっとした外巡りの動きにも息切れが激しい。
こんなのが心臓に良くないのだろう・・・まあ。疲れていないわけがないのだから。
5時40分
千枚小屋の夕食風景
メニューはチキンとハンバーグだったかなあ?
美味しかった。
宵の月
明けて8月15日、キリッとした冷気の中で、やや湿気の多そうな下界の雲の上に浮かぶ富士山百枚小屋の宿泊者は意外にも朝の始動が遅かった。
昨年泊まった聖平や茶臼の小屋では3時前からゴソゴソと動き出してそんな時間から出発する人もいたが今日は4時前からゴソゴソだ。
今日は荒川、赤石から百間洞の小屋までの長丁場だが・・・
午後4時までに百間洞の小屋に入って下さいと小屋の方にいわれた・・
4時半からの朝食そそくさとをすませ・・
外に出たら・・・
人々が日の出を待ちながら、雲海に浮かぶ富士山に見とれている。
天気予報は午後から崩れるという。
今日は今回の山行のハイライトとなるはずだが・・
5時、弱々しく好天を期待しながらの出発。
(その2 荒川岳へ続く)
コメント
コメント一覧 (1)