鋸岳・・
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これが普通の、なだらかな尾根なら甲斐駒から派生している一つの山稜にすぎない。
しかしゴツゴツとした文字通り鋸の歯のような稜線は独特の存在感を放ち、一般の登山者を拒絶する厳しさをまとっているため、甲斐駒とは一線を画して語られる。
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槍ヶ岳北鎌尾根、その隣の硫黄尾根、奥穂高から西穂にいたる稜線に比べても遜色の無い内容を備えている。
両側が切り立った細い尾根と急角度の登下降を繰り返す行程は様々な記録で紹介されている。どれも一般の縦走概念を超えるものだ。
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私も鋸岳に畏怖心を抱きながら憧れていた。
麓から鋸の歯のような稜線が目に映るたび心がざわめきたっていた。
山登りに復帰して満二年、一つの区切りにと、鋸岳を目指すことにした。
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現在、北沢峠までバスで行き甲斐駒ケ岳を登ってから鋸に縦走するのが一般的のようだ。
私は鋸岳にも甲斐駒岳にも敬意を表する意味で、鋸を下から登り甲斐駒でこの登山を完成させたいと思った。
いわば古典的な山登りの方法で。
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8月9日朝8時50分
戸台大橋から少し奥まったところの河原の駐車場に導かれた。
登山届けを出して出発した。
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梅雨明けしたものの、不安定な天候が続いていたが、数日前からようやく本格的な夏の日差しがやってきた。
真夏の逆光にに霞む甲斐駒から双児岳、駒津峰に至る稜線を見ながら歩き出した。
まるで手の届かないような高みに稜線は描かれている。
この、広い河原を歩くのは3、4度目だと思う。
最後に歩いたのは、いつも妻が世話になっている自称税理士先生に連れられて、まあ仲間だが、この戸台川右岸の大きな岩壁でクライミングを行った時だ。
しかしいつ頃のことだったかすっかり忘れている。
25年以上も前のことだろうか・・・
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重荷にあえぎながら広い河原の右岸の微かな踏み跡を辿る。
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幾つかの堰堤を越えると、両岸には岩壁がそそり立ってくる。
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右岸の壁。税理士先生と登ったのはここかなあ?・・・壁が少し小さいようだ。
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対岸にも立派な壁。
私は岩壁フェチである。
発電用の取水口を越えて少しいくと左側、やや奥まったところにも壁。
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やあ、ここだ、ここだ。
税理士先生、憶えていらっしゃいますかな。
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炎天下の河原の真ん中の道しるべ。
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また今日も一人かいな・・・
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道しるべだ。微かな踏み跡だが何となくわかる。
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踏み跡は左岸、つまり、上流に向かって右側の樹林の中に続く。
荷が重いうえ、暑いので休む回数も多い。
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ようやく角兵衞沢出合い到着。
ここから角兵衞沢に入るのだが大休止。
すでに時刻は12時だ。
手許の高度計は1300m弱。
この荷物、このペースで今日中に標高差1200mの沢をつめて稜線に抜ける体力はもはや無い。
中間の大岩小屋泊まりがせいぜいだ。
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角兵衞沢。
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甲斐駒の頭がチラリ。
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鋸の上部の稜線
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もう一度、角兵衞沢。
稜線は遠い・・・
岩小屋で水が摂れるかどうか不安だったので、ここから全行程の水を持ち上げることにした。
今日、明日、明後日と一体どれぐらいの水が必要か見当がつかない。
2L/日の3日分となると6L!
ワシは気が小さいので余分に1.5L、計7.5Lも持ってしまい、あとで後悔することになる。
ザックを担いだらもうそれだけで潰れそうである。
若い頃は剣沢まで12Lのビールを担いだなんていう武勇伝はもう通用しないって・・・
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さ、出発。
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水量は少なく、飛び石で難なく対岸に渡ると大きなケルンがある。
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しばらく歩くと1合目の看板。合目の看板はこれが最初で最後だ。
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喘ぎあえぎしばらくいくと、角兵衞のコル行きとの分岐が現れた。
横岳への踏み跡は薄い。
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私の進む道はこちら。
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急角度な沢の中の樹林帯の道。
もう体力の限界がきて10分歩いては5分休む繰り返し。
潰れる前に休んだれと、開き直っている。
心はとっくに折れて曲がっている。
二時間近く登ってきたがまだかい・・・
すると足音がして上から人が下りてきた。
今日初めて出会う人だ。
岩小屋まではどれぐらいですかと尋ねると、まだかなりあるよ、そう1時間、いや1時間半ぐらいかなあ・・・
がっくりである。
下ってきた人もこの沢の長い下りにかなりバテているらしく、後どれぐらいですかと聞いてきた。
私も見栄を張ってここまで1時間40分ぐらいかかりましたと応えると、うんざりしたような顔をしていた。
この下りは急で大変ですねえ、と言い残してまた駆け下って行った。
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また、静寂が戻る。意を決して立ち上がりまた10分歩き5分休みの繰り返しだ。
ちょうど下山者と別れて1時間半登った頃、樹林が切れた。
登山道を外れた右側には圧倒的な絶壁が現れた。
しかし先ほどまで見かけた「大岩小屋」の表示はどこにも無い。
リュックを置いて壁の下にいってみると、果たして小さなテントが2つ3つ張れる平地がある。
ヤレヤレ・・・
15時30分岩小屋着。
「岩小屋」表示はどうせなら現場にもキチンと表示してほしいところだ。
踏み跡から岩小屋は見えない。
手許の高度計では2030mを示している。
約700mの標高差に3時間半の超スローペースだが、これがまぎれのない今の私の実力だ。
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しかし岩小屋の上部の壁、どう見ても剥がれやすそうな、崩れやすそうな水成岩質的岩石が張り付いたように構成されている。
小心者の私は壁の下にツェルトを張るのをためらってしまう。
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付近にツェルトが張れそうな小さな平地でも無いかとくまなく探しまわったが見つからず、仕方なくここでツェルトを張ることにした。
石が頭に落っこちて死んだら隕石にでも当たったと諦めるしかないだろう。
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100年ぶりのツェルトに少し興奮。
自立式テントを買おうか迷ったのだが・・・コンパクトな自立式テントは人一倍も座高の高い私には頭や背中がつかえて窮屈なのだ。
結局ネットで2人用のツェルトを購入した。
これなら頭も背中もつかえない。
アーム状の内張りポールは内部空間を拡張してくれて、一人寝るには少し大きすぎるくらいだ。
中であれやこれや荷物をトッ散らかしても一人寝るには十分な広さで、まあ満足。
私は閉所恐怖症でもある。
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張るには少し時間がかかり、コツがいるのは仕方がない。
ポールはストックを利用できる。
張り綱には石ころとか気の枝を縛って別の石コロを重しにして固めればよし。
稜線などで風対策が必要な時はポールをツェルト本体からもう少し離して接地点の周囲をやや大きめの石ころなどで固めればかなり効果的だ。
後はツェルト本体の強度を信じるしかない。
ま、これも快適に過ごすためのツェルト的儀式である。
座高ばかり人一倍高く生まれたせいで・・・
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心配していた水は岩小屋の最奥のところからぽたぽたと何カ所もしたたっている。
こうやって、コッヘルを当てておけば1、2分で満杯になる。
何のために苦労して大量の水を担ぎ上げたのやら・・・

それにしてもこの巨大な岩壁を通過して磨かれた水。
なんて、冷たくておいしい水なのだろう!
私がこれまで飲んだ水の中で、最も美味い水ではないだろうか!
ここに来たものだけに与えられる特典だ!
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まだ、時間は早かったがココアやスープを飲んだり、チマチマと夕食を摂って、韓国土産の酒をチビチビ、マッタリ。
それでもヒマなのでガラにもなく周囲の花の写真など撮っていたら、一人の男性が殆ど空になったペットボトルを2本手に持って、ミズ、ミズといいながら岩小屋に現れた。
私がためていた水を飲み干して、美味い!と一言。
茨城の50前後の男性で、今朝、黒戸尾根の七丈小屋から頂上で仲間と別れ一人で鋸岳を縦走してきたという。
前日そんなに水を飲まなかったので1.5Lで足りると、用意してきたのだが甘かったとのこと。
鎖の岩場はそんなに問題なかったが上り下りが沢山あるので大変だったそうだ。
そのうえ角兵衞沢の急峻な砕石の下降にもとても神経を使ったそうだ。
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甲斐駒頂上が七時半だったということで、それから思ったより時間がかかったようだ。
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そんな彼に、こんな爺さん一人で鋸なんてと不安を与えてもいけないと思い、昔クライミングをやっていて、甲斐駒周辺の岩場にもずいぶん通いましてね・・などと言わずもがなのことを話したり・・
30年も前のことだろうがッ・・・と私自身ツッコミを入れたいところだが。
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これから下山ですかと尋ねたら、
いえ、いえ、ここに水があるならここまでです、とのこと。リュックを取りにもどっていった。
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明日はどこまで?と尋ねられ、鋸を越えて甲斐駒の手前の六合石室までですというと、
すると真顔になり云いにくそうに口ごもりながら、そうですか・・そこから甲斐駒の頂上までは距離も高度差もかなりありますよ、と脅された。
しかし、明後日の涼しいうちの朝一番の登りになるから何とかなるだろうと内心思った。
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彼のツェルトは一人用のコンパクトなシェルターだ。明日はゆっくり下山して仲間と北沢峠で合流し最後に仙𠀋岳だったかどこかに登るそうだ。
みんな元気だなあ・・・
私はここだけでもアップアップというのに・・
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ツェルトを張るのを手伝っていたら、思い切り何カ所も蚊に刺された。
蚊は夜行性だ。
男性が虫除けスプレーを貸してくれた。首筋、腕、ふくらはぎに少し吹きつけて擦り込んでおけば最低30分は虫がよってこないとのこと。
そうだこれを用意すべきだった。昔、この甲斐駒周辺で思い切りブヨに食われたことを思い出した。
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彼にお礼を云って、そそくさとツェルトに引っ込み、蚊が侵入しないようにベンチレーターを塞いで横になった。
18時40分
しばらくすると男性の携帯電話が鳴った。
ここでも繋がるんかい!衛星仕様だろうか。

河原歩きと角兵衞沢のここまでの登りに明け暮れたパッとしない余りにも地味な1日は、私に深い徒労感と明日の未知への不安を残して暮れて行く。


其の弐に続く)